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もうひとりの注目ピアニスト~ソン・ヨルム

ソンヨルム

辻井伸行の活躍につられて、クライバーンコンクールの映像を観ていたのだが、
もうひとりとても有能なピアニストを発見した。
第2位に入賞した韓国のソン・ヨルム
といっても、これまで知らなかったのは私の不案内のせいで、
ショパンコンクールでの本戦出場や、たびたびの来日など、
実力派若手として、実はかなり有名なピアニストだったらしい。

辻井の「ハンマークラヴィーア」ソナタという選曲にびっくりしていたら
この女流ピアニストも作品111のソナタを弾いており、
最近ではベートーヴェンの後期のソナタがコンクールでばんばん弾かれるのかと
少し感慨があったのだけれど、この演奏は良くなかった。
(さすがにベートーヴェン最後のソナタを弾くには若すぎたか?)
それで、このピアニストはだめだと判断していたのだが、
その後改めて聴いたプロコフィエフとショパンの協奏曲はとても良かった。
さらに、ブラームスのピアノ五重奏曲はコンクールであることを忘れてしまうくらいの名演で、
このピアニストの実力を十分に認識することができた。
この人の良いところは、音楽が生き生きと自然な呼吸をしているところで
思わず引き込まれてしまうような魅力がある。
それに比べてHaochen Zhangは、丁寧で上品な音楽づくりなのだけれど、
音楽が停滞していて、一言で言えば退屈な演奏に感じられた。
実際、会場の拍手は1に辻井、2にソン、3にZhangかWuかといったところで、
私の実感とよく一致していた。

インターネットのおかげで
コンクールの審査員にでもなったような経験ができる。
私は今回初めてこのような経験をしたわけだが、
辻井伸行ソン・ヨルムという
2人のアジアの素晴しい才能を知ることができたのは
大きな収穫であった。
今後、この2人の活躍に注目していきたいと思う。








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音楽が「見える」~辻井伸行(その2)

どうしてこのような「規格外」のピアニストが誕生したのか?
それには、前回は触れなかった彼の「障害」が大きく関係していると思われる。

今回の快挙に「盲目の」という枕詞はまったく必要のないこと。
音楽を聴くときに、「これは健常者の音楽」「これは障害者の音楽」などと
区別をして聴くことなどありえない。
彼の演奏が評価されるのは、それが真に偉大な音楽だからであって、
それを弾いている人が盲目かどうかということはまったく関係のないことだ。

それでも、ピアニスト辻井伸行の誕生を考える際、彼の「障害」を避けて考えることはできない。
彼がピアノを弾くスタイルは一般のピアニストとはずいぶん違う。
私たちが知るほとんどのピアニストは、指を鍵盤から離すときに手をずいぶん上に振り上げる。
それは音の切れをよくし、音色をよくするためだと私は信じてきた。
しかし、辻井はそんな動作はしない。それでも彼の音色は決してにごってはいない。
また、ピアノを習う子どもは必ず「卵を包み込むように」鍵盤を指先で弾くことを教えられる。
しかし彼は指の腹を鍵盤に押し付けるようにしてベートーヴェンを弾く。
これはおそらく、彼が「盲目ゆえに」他のピアニストの演奏姿を参考にすることなく身に付けた、
彼にとって最良の演奏法なのであろう。
また、「盲目ゆえに」指導者もそれを無理やり矯正せず、そのスタイルが定着したのであろう。

その彼が、感動的なベートーヴェンを弾き、チャーミングなショパンを奏でる。
とすれば、一般に信じられてきた「正しい」演奏法とは何なのであろうか?
「盲目ゆえに」従来の因習から自由でありえたとするなら、
ピアニスト辻井伸行にとって、盲目とは決して「障害」には当たらないはずだ。

今回、辻井と他の参加者の決定的な差は
自分の音楽を持っていたかどうかにあった。
もう一人の優勝者Haochen Zhangがどんなに心を込めてベートーヴェンを弾いても、
音楽は決して自ら前進してはいなかった。
それは、彼らの年齢と音楽キャリアを考えれば当然のこと、
コンクールとは将来の音楽的成長を織り込んで評価されるべきものなのだ。
その中で、辻井だけが確固とした自分の音楽を持っていた。
なぜ彼にだけそのようなことが可能であったのか。

それは、彼にとっては音楽というものが実体を伴ったものとして
「見えて」いるからではないかと思う。
視力に囚われることがない分、彼には音楽がはっきりと「見えて」いるのではないだろうか?
幼い頃、母親に風の色を問うたという彼の感性が、
音楽という世界を得て、自由に羽ばたいているように思えるのである。

こうして、私たちは稀有な才能のピアニストを得ることができた。
クライバーン氏が彼を「奇跡」と称えたのは、そういう意味であったのだと私は思っている。

巨匠の風格~辻井伸行

nobu1.jpg

 辻井伸行がクライバーンコンクールで優勝した。その第一報のTVニュースで、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」ソナタが流れているのにまず驚いた。これはコンクールで弾くような曲ではない。ベートーヴェンのソナタの中でテクニック的に最難曲であるだけではなく、普通に弾いたのではまず音楽にならないくらいの深い内容を持っているので、プロでも若手が演奏会で弾くことがほとんどないくらいの曲だからだ。
 幸い、コンクールの公式ウェブで映像を観ることができるので、「ハンマークラヴィーア」ソナタを早速視聴した。まだ顔にあどけなさが残る辻井であるが、彼が生み出す音楽は、正真正銘の「本物」であった。長大なアダージョ・ソステヌートを弛緩させることもなく、終楽章の音楽史上かつてないほどの緊張とそこからの緩やかな開放といった非常に表現の難しい部分も見事に弾き切っていた。テクニック的には、コンクールでは致命傷になりかねないようなミスが数箇所生じたが、彼の素晴しいところはそれでも音楽の流れが決して澱まないところである。弱冠20歳でありながら、彼の音楽にはすでに巨匠然としたところさえある。そういえば、指の腹で鍵盤を押さえるような弾き方はホロヴィッツやアラウを思い出させる。とにかく、普通の物差しでは計れないようなスケールの大きさをもったピアニストであることは確かだ。
 俄然このピアニストに興味が涌いて、予選の演奏の曲目を見て再度びっくりしてしまった。なんと、ショパンの作品10のエチュードを全曲(!)弾いているのだ。コンクールに詳しいわけではないけれど、常識的にはこれは暴挙に近いことだと思う。一流のピアニストでさえ全曲を破綻なく聴かせる自信のある人は少ない。ミスをしないことが重視されるコンクールでエチュードを全曲弾くなど、リスクばかり大きくて、とっても見合うことではない。事実、ほかの参加者でこのようなプログラムを組んだものはいなかったし、何曲か自分の得意な曲を選んでプログラムに入れるというのが普通だと思う。ところが演奏を最後まで聴いてまたまたびっくり、全曲続けてこんなに聴かせる演奏は、大げさに言えばポリーニ以来ではないかと思う。特に8番ヘ長調のこんな生き生きとしたチャーミングな演奏を私はこれまで聴いたことがない。
 優勝を分け合った中国のHaochen Zhangの、ミスなく丁寧で上品な音楽づくりはまさにコンクール向きで、一般的な意味でコンクールの優勝者にふさわしいと思うし、ミスの目立った辻井をZhangの上にもって来ることには私でも抵抗があるように思う。しかし、音楽家としてどちらを評価するかと問われれば断然辻井であるし、辻井にはコンクールというものでは計ることのできない、はるかに大きな音楽性があると思う。長くなったので、この続きはまた項を改めて。

ブログ移行

長い間放置していたブログですが、Doblogが閉鎖されるということなので、
音楽関係の記事だけをこちらに移行しました。

これを機会に活動再開といきたいところですが、
さて、どうなりますやら。
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