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音楽が「見える」~辻井伸行(その2)

どうしてこのような「規格外」のピアニストが誕生したのか?
それには、前回は触れなかった彼の「障害」が大きく関係していると思われる。

今回の快挙に「盲目の」という枕詞はまったく必要のないこと。
音楽を聴くときに、「これは健常者の音楽」「これは障害者の音楽」などと
区別をして聴くことなどありえない。
彼の演奏が評価されるのは、それが真に偉大な音楽だからであって、
それを弾いている人が盲目かどうかということはまったく関係のないことだ。

それでも、ピアニスト辻井伸行の誕生を考える際、彼の「障害」を避けて考えることはできない。
彼がピアノを弾くスタイルは一般のピアニストとはずいぶん違う。
私たちが知るほとんどのピアニストは、指を鍵盤から離すときに手をずいぶん上に振り上げる。
それは音の切れをよくし、音色をよくするためだと私は信じてきた。
しかし、辻井はそんな動作はしない。それでも彼の音色は決してにごってはいない。
また、ピアノを習う子どもは必ず「卵を包み込むように」鍵盤を指先で弾くことを教えられる。
しかし彼は指の腹を鍵盤に押し付けるようにしてベートーヴェンを弾く。
これはおそらく、彼が「盲目ゆえに」他のピアニストの演奏姿を参考にすることなく身に付けた、
彼にとって最良の演奏法なのであろう。
また、「盲目ゆえに」指導者もそれを無理やり矯正せず、そのスタイルが定着したのであろう。

その彼が、感動的なベートーヴェンを弾き、チャーミングなショパンを奏でる。
とすれば、一般に信じられてきた「正しい」演奏法とは何なのであろうか?
「盲目ゆえに」従来の因習から自由でありえたとするなら、
ピアニスト辻井伸行にとって、盲目とは決して「障害」には当たらないはずだ。

今回、辻井と他の参加者の決定的な差は
自分の音楽を持っていたかどうかにあった。
もう一人の優勝者Haochen Zhangがどんなに心を込めてベートーヴェンを弾いても、
音楽は決して自ら前進してはいなかった。
それは、彼らの年齢と音楽キャリアを考えれば当然のこと、
コンクールとは将来の音楽的成長を織り込んで評価されるべきものなのだ。
その中で、辻井だけが確固とした自分の音楽を持っていた。
なぜ彼にだけそのようなことが可能であったのか。

それは、彼にとっては音楽というものが実体を伴ったものとして
「見えて」いるからではないかと思う。
視力に囚われることがない分、彼には音楽がはっきりと「見えて」いるのではないだろうか?
幼い頃、母親に風の色を問うたという彼の感性が、
音楽という世界を得て、自由に羽ばたいているように思えるのである。

こうして、私たちは稀有な才能のピアニストを得ることができた。
クライバーン氏が彼を「奇跡」と称えたのは、そういう意味であったのだと私は思っている。

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