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巨匠の風格~辻井伸行

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 辻井伸行がクライバーンコンクールで優勝した。その第一報のTVニュースで、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」ソナタが流れているのにまず驚いた。これはコンクールで弾くような曲ではない。ベートーヴェンのソナタの中でテクニック的に最難曲であるだけではなく、普通に弾いたのではまず音楽にならないくらいの深い内容を持っているので、プロでも若手が演奏会で弾くことがほとんどないくらいの曲だからだ。
 幸い、コンクールの公式ウェブで映像を観ることができるので、「ハンマークラヴィーア」ソナタを早速視聴した。まだ顔にあどけなさが残る辻井であるが、彼が生み出す音楽は、正真正銘の「本物」であった。長大なアダージョ・ソステヌートを弛緩させることもなく、終楽章の音楽史上かつてないほどの緊張とそこからの緩やかな開放といった非常に表現の難しい部分も見事に弾き切っていた。テクニック的には、コンクールでは致命傷になりかねないようなミスが数箇所生じたが、彼の素晴しいところはそれでも音楽の流れが決して澱まないところである。弱冠20歳でありながら、彼の音楽にはすでに巨匠然としたところさえある。そういえば、指の腹で鍵盤を押さえるような弾き方はホロヴィッツやアラウを思い出させる。とにかく、普通の物差しでは計れないようなスケールの大きさをもったピアニストであることは確かだ。
 俄然このピアニストに興味が涌いて、予選の演奏の曲目を見て再度びっくりしてしまった。なんと、ショパンの作品10のエチュードを全曲(!)弾いているのだ。コンクールに詳しいわけではないけれど、常識的にはこれは暴挙に近いことだと思う。一流のピアニストでさえ全曲を破綻なく聴かせる自信のある人は少ない。ミスをしないことが重視されるコンクールでエチュードを全曲弾くなど、リスクばかり大きくて、とっても見合うことではない。事実、ほかの参加者でこのようなプログラムを組んだものはいなかったし、何曲か自分の得意な曲を選んでプログラムに入れるというのが普通だと思う。ところが演奏を最後まで聴いてまたまたびっくり、全曲続けてこんなに聴かせる演奏は、大げさに言えばポリーニ以来ではないかと思う。特に8番ヘ長調のこんな生き生きとしたチャーミングな演奏を私はこれまで聴いたことがない。
 優勝を分け合った中国のHaochen Zhangの、ミスなく丁寧で上品な音楽づくりはまさにコンクール向きで、一般的な意味でコンクールの優勝者にふさわしいと思うし、ミスの目立った辻井をZhangの上にもって来ることには私でも抵抗があるように思う。しかし、音楽家としてどちらを評価するかと問われれば断然辻井であるし、辻井にはコンクールというものでは計ることのできない、はるかに大きな音楽性があると思う。長くなったので、この続きはまた項を改めて。

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